TOYOTA SUPRAの歴史(後編)
TOYOTA SUPRAの歴史(前編) - ブーブ速報を読んでいただいた方ありがとうございました!
本日はSUPRAの歴史(後半)をご紹介させていただきたいと思います。
3代目 A70型(1986-1993年)
A70型になり国内でも米国と同様にスープラを名乗り始めたモデル
発売当初のコピーは「TOYOTA3000GT」
採用されたリトラクタブルヘッドライトから名車2000GTを彷彿させるデザイン。
2000GTへのオマージュから、このようなコピーで発売されていました。
1G-EUでは105PSという出力だったが90年になり発売されたヤマハがトヨタエンジンをベースに開発した1JZ-GTEは最高出力280PSとなっています。
A70はグループAに出場しデビュー戦では勝利を収めましたが、その後、日産スカイライン(R32) の台頭により1990年には撤退を余儀なくされました。
▼グループAに参戦したスープラ
(引用元:http://supra70.com/supra/fujitsu.html)
4代目 A80型(1993-2002年)
今回デトロイトモーターショーで発表されたスープラの前型モデル
実はこのJZA80スープラも1993年に同じデトロイトモーターショーで発表されました。
(ストーリーを感じますね…涙)
(引用元:http://jpdjapan.com/product/toyota-supra-jza80-rz-twinturbo-1-owner-1994/)
このモデルのキャッチコピーは「THE SPORTS OF TOYOTA」
エンジンは直6 3L 2JZに変更され、当時の日本では初となる6速MTを搭載している。
1997年には形式の似たエンジンを搭載するアリストがフルモデルチェンジしたため、スープらも同じタイミングでVVT-i化された。
またサスペンションにも工夫が凝らされて「REAS(相互連携アブソーバーシステム)」を採用。このシステムはハイラックスサーフやクラウンアスリートVXにも搭載された。
2002年8月には自動車排ガス規制に対応できずスカイラインGTR、RX-7とともに生産を終了した。
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